
2024年9月30日~10月5日 『三愛病院 機能的脳定位手術』 |
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・9月30日 ~入院 タクシーで、妻と共に楽器を抱えて三愛病院に着いた。約束の14時の10分前。入院手続きを済ませ念願だったマイルームに案内された。 想像以上に立派な部屋で風通しも良く、 病院とは思えないほど明るい雰囲気に驚いた。 早速キーボードの設営を始めたが、ここでひとつ問題が発生。食事の際に使う高さ調節テーブルに置いたところ、 キーボードの重みでズルズルと下がってしまった。ではベッドの上では?と思ったが、キーボードがグラグラする上、この態勢では腰もやられる。仕方ない、床に正座して弾くか? と、妻とあれこれ試行錯誤していると、担当の看護師さんが挨拶にやって来た。 事情を話すと、すぐに用務員さんを呼んでくださった。理想の高さを尋ねられたので、 ベッドを椅子代わりにしたときの位置を伝えると、——数分後、用務員さんは、自作のつっかえ棒と別の食事台を抱えて戻ってきた。なんと、それらをガムテープでぐるぐる巻きに固定し、 即席のキーボード台を完成させてくれたのだ。いやな顔一つせず、むしろ楽しそうに作業をする姿に、こちらも嬉しくなった。その対応の早さと、真摯な姿勢に心から感謝し、感動した。 この出来事以外にも、三愛病院の皆さんの言動は思いやりに溢れていて、入院初日から居心地がとても良かった。 その後、検温・血圧・血液検査・検尿・レントゲン・心電図・MRIなど、 術前の検査が続いた。その合間にも、さっそく完成した“マイキーボード台”で練習を始めた。 その様子がこちらの動画。 ①バッハ 平均律より |
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②以前から継続的に載せている シューマン(和音が連続で弾けない) |
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※入院着に着替えてからの練習。 以前より右手の症状がさらに悪化しているのがわかる。 安定している左手に比べて、右手はガチガチに固まり、明らかに動きが違う。 特に、継続して録画しているシューマンでは、症状の進行がはっきりと見て取れる。 動画の途中、私が「これで見納めよ、右手」と言って、妻が「うん」と答えている場面がある。 たった一言ずつのやりとりだったが、これまでの三年間にわたる『ジストニアとの闘い』の重みが、一瞬に凝縮されたように思えた。 |
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その後も夕食を挟んで、再び練習を続けた。明日は手術なので、21時以降は絶飲食、就寝時間も同じく21時だ。今日はトータルで3時間半ほど弾いただろうか。 その間、私は右手をじっと見つめながら、今さらながら“なんて不思議な動きなんだろう”と、他人事のような気持ちで、丸まった指をしみじみと眺めていた。 ……でも、この右手とも、今日でお別れだ。手術後は翌朝まで動いたらいけないらしいので、明後日には、もう曲がらない“新しい右手”と再会できる。 そう思うとワクワクしてきて、今夜はきっと、いい夢が見られそうだ。。 |
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・10 月1日 ~入院2日目 機能的脳定位手術 昨晩は“良い夢”どころか、なかなか寝付けなかった。 日ごろから真面目に行っている“晩酌”が出来なかったせいか、はたまた手術に対する期待と希望で 興奮して寝つけなかったのかはわからないが、時計を見るとまだ午前4時。そこから頑張って目を閉じてはみたが、まぶただけつぶっていても、その奥の目玉は生き生きと冴えている。 えいくそ!と思い、起き上がって朝支度を始めた。洗顔や歯磨きのほかに、手術前に洗髪もしておかなければならなかった。そうこうしているうちに、朝の検温や血圧、 血糖測定の時間になり点滴も8時から始まった。ジストニアの手術を受ける人は、術中に頭が1ミリも動かないように、手術台とガッツリ固定するため、頭に金属のフレームを装着 しなければならない。 その処置予定は9時だったが、8時半にはお呼びがかかった。 |
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⚠️ここから先は、病室に戻った直後に記した記録です。 一部にリアルな描写や音の表現が含まれており、読む方によっては不快に感じる可能性もあります。 あくまで当時の状況をそのまま残す目的で綴った記録ですので、無理のない範囲でご覧ください。 |
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点滴スタンドを押しつつ、付き添いの看護師さんとのおしゃべりを楽しみながら処置室まで歩いた。その会話中に重要な情報をゲットした。 今日、平先生の手術は2件あり、私は運悪く2本目らしい。しかもオペ開始予定は午後2時!...ということは、今から5~6時間フレーム装着状態で過ごすのか。 そうきたか~と思いつつ、看護師さんに文句を言っても始まらないので、とりあえず成り行きに任せてみることにした。 処置室につくと、平先生とアシスタントらしき若手医師3名、さらに研修で来ているのだろう、外国人の方がいた。 先生と軽く会話を交わしたあと、さっそく麻酔が始まった。 まずは左右の眉の上、ひたいの辺りと、反対側の後頭部に合計4か所。言い方は悪いが、複数人で寄ってたかってブスブス打たれた印象だ。物凄いスピードで次々に打ちまくってくる その状況に、思わず笑いが出てしまった。 麻酔の感覚は歯医者のものに近く、直に刺され、そこからじわ~っと感覚がなくなっていく。チクチクする程度で、大した痛みではなかった。 (私は)その後、2~3分軽くマッサージをされ、麻酔が効いてきたところで、いよいよフレーム装着。まず耳の中にフレームとつながっている金属の棒を入れて安定させ、 頭にピンらしきもので4か所固定していく。この『ピンらしき謎のもの』が、麻酔を刺しっぱなしにされているような妙な痛みを伴う。思わず「今って麻酔、刺しっぱなしですか? 結構ズッキンときてるんですけど」と先生に聞いたほどだ。先生は「いいえ、刺しっぱなしにしていませんよ。10~15分したら痛みもなくなりますから」と答えてくれた。 なるほど確かにそうなった。 次はCT撮影だ。 移動する前に、先ほどの外国人を紹介された。インドからこの手術を学びに来ているのだそうだ。今日のオペを見学したいとのことで、許可を求められた。 私は両手を合わせ、唯一知っているインド語で、意味が合っているかはわからないが「ナマステ」と答えたら、彼はとても喜んでくれた。 世界中にジストニア患者は大勢いる。 この誰にでも出来ない手術を、他の国の医師たちもにもできるようになってほしい。心からそう願った。 そしてCT撮影のため、歩いて移動した。フレームとつながっている金属棒が耳に入ったままなので、何か硬いものに触れるたびに「ガーン」や「カンカン」といった音と振動が ダイレクトで入ってくる。 これがもう、エグイほどうるさい。 頭からたったの数センチ外側にフレームが付いただけで、こんなにも距離感が掴めないものか、と驚いてしまった。 すべての処置を終え、マイルームに戻って時計を見ると、まだ9時だった。看護師さんからは「手術までゆっくり休んでいて下さいね。」と言われ、ベッドに横になろうとした瞬間 —— ベッドの枠にフレームが激突し、「ギャーン!」という、全身にとどろく、信じられないほどの大音量に襲われた。 こりゃもう、センチ単位で動かなきゃダメだな。トホホ・・・ |
※9:01 マイルームにて |
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そして、相当慎重にベッドに横になってみた。が、ここでまたウケることが起きた。横たわれたのはいいが、ご覧のように後頭部にも鉄の棒があるので、まっすぐ寝られない。 まるで高枕をしているみたいに、アゴが首にめり込んでくる。それならテレビでも見るかと左を向いたら、頭ごとガコンと90度、直角に動いた。右を向いてもガコン。 向きを変えるたびに『ガコン、ガコン』という音が聞こえてきそうだ。 見た目もロボット、動きもロボットだ。では座ってピアノの練習でも...とも思ったが、 やはり頭が気になって上手くはいかない。仕方ないので『ロボ遊び』をしながら、こうして文章を書いたり、無理やりテレビを見たりしていた。 そうこうしているうちに10:30。 手術担当の看護師さんが打ち合わせに来た。いろいろな段取りを決め、特に問題はなかったが、私が一番気になっていることがあった。 それは、キーボードをいつ運び、どの段階で高さや角度の調節をするのか、ということだ。 そう尋ねてみると、看護師さんから「?」的な顔をされたので、「手術中に演奏しながら指の具合をみるんですよね?」と確認すると、返ってきた答えは —— 「えっ、そういう設備は……ないと思いますけど...」 な~に~! 以前の診察時で、平先生から「演奏しながら手術を受けられる」と確かに言われたことを伝えたが、看護師さんは知らないようで、とても困っていた。 これ以上、彼女に何を言っても始まらないみたいだ。こりゃ、本番でなんとかするしかないぞ! そして、キーボードの不安要素を抱えたまま、予定の14時を15分過ぎたところで、ついに呼ばれた。 ——さぁ、いざ本番! 手術室に入ると、平先生のほか、若い医師たち数人、見学のインド人医師もスタンバイしていた。平先生に挨拶を済ませ、さっそくキーボードの件を切り出してみた。 すると、「大丈夫です。順番に行きましょう」と、穏やかにたしなめられた。まずは手術台に横になり、頭が微動だにしないようフレームと手術台がしっかりと連結された。 手際よく全身の固定を進められ、あっという間にがっちりと動けない状態にされた。 まず、頭全体を消毒するのだろう、シャンプーのように“ワシャワシャ”と洗われた。続いて痛み止めの注射だ。これがなかなか強烈で、顔じゅうの皮膚が刺された部分にすべて 引っ張られているような感じで、思わず「顔、ゆがんでませんか?」と聞いてしまったほどだ。もちろんそんなことはないのだが、 先生は穏やかに「いいえ」と答えてくれた。この麻酔は脳内をかき分けるようにじわじわと入り込み、グリグリというイヤな感触が頭の中に響いた。その後、麻酔が効いているか チェックをするため、針で頭皮の周囲を軽く差されチクチク感じるところが数か所あったので追い麻酔を頼んだ。 チクチク感もやがて消え、いよいよ頭蓋骨に穴を開ける工程へと進んだ。平先生の声が少し遠くから聞こえる。「◯◯番、持ってきて」と、まるで工具でも選ぶようにドリル(?) をアシスタントに指示している。いざ穴開けだが、先ほどの音など比べものにならない。まさに人生最大級の騒音が襲ってきた。まるで道路工事でコンクリートを削る作業を、 耳の中でやられているような感覚だった。その振動は頭だけではなく全身にも広がった。途中、先生が「30秒ぐらいで終わりますから」と声をかけてくれ、それに「はい」との やりとりがあったのだが、二人とも張り裂けんばかりの大声だったのは、言うまでもない。 穴が開通すると、ついに来た!——『ジストニア』の治療に取り掛かる。まずは金属の棒を挿入するのだが、ジュルジュルとイヤな音を立てながらゆっくりと奥へ進んでいく。 痛みはまったくなかったが、『音』だけがダイレクトに伝わってくるのでより一層気持ち悪かった。しかし、目的地にたどり着くまでに避けてはならない道なのでそこは我慢。 ほどなくして目的の患部に到着。ここでいよいよ、キーボードの設営だ。スタッフ達が手作業で即席のキーボード台を作ってくれた。手術中に弾けることになって ひとまずはホッとしたものの、問題は『位置』だった。角度や高さを手動で調節してもらうのだが、頭ががっちりと固定されているため、動かせるのは目玉と口だけ。 思いっきり下を向いた状態で「あーでもない、こーでもない」と細かく注文を繰り返した。やがて「これが限界です」と言われ、贅沢は言っていられないと、 ギリギリ鍵盤が見える位置で手を打った。その結果、やや手首を立て気味に腕を少し持ち上げるような格好で弾くことになった。 先生から「では、始めるので何か弾いて下さい」と言われた。いよいよ視床下部(脳内の運動を制御する部位)を熱する手術が始まる。 あらかじめ試すつもりだったいくつかのパターン (和音の連続・トレモロ・様々な形の旋律・オクターブetc.)を弾いてみた。まずは、これまではどうしても弾けなかった連続で和音を弾くパターンを試した。 以前にも動画を載せているシューマンで。——すると、なんと!指が丸まってない!! 和音がきれいに弾けてる!!! 思わず「うぉ--------っ!お~~~!」と叫びながら興奮を隠せなかった。 この瞬間、これまで穏やかで丁寧な平先生が「どっちの『うぉ---』ですか?」 と、今まで聞いたことのない速さと大声で返してきた。 固定されて見えてはいないが、おそらく身を乗り出していたに違いない。私は興奮の中「もちろん、いい方の『うぉ---』ですよ。 薬指も小指も伸びてるでしょ」と答えると、先生も嬉しそうに「さっきよりも外側に指が広がってますね」と、言ってくれた。 ——まだまだ序盤とのこと。焦る気持ちを抑えながらも、 準備していた他のパターンも次々に試してみた。すでに小指の縮まりが少なくなったことで、薬指も自由に動くようになった。しかしまだ人差し指と中指の間が不自由だ。 そんな感じで、次から次へいろんなことを試していたら、先生が「これ以上進めると、ロレツが回らなくなるし言語に問題が出るので危険です。」と言われ、 患部を熱するのはここまでとなった。 あっという間だった。 残る作業は頭蓋骨に蓋をするのだが、なんでもセラミック製の蓋で閉じるとのこと。金属ではなく体への負担を軽減するためらしい。 そして縫合。 『バチン、バチン・・・』という音が9回聞こえた。どうやらホッチキスみたいなもので止めたらしい。縫うというよりは、針を打ち込むといったほうがふさわしい。 その後、治療は終了。 実際にジストニアの処置だけを考えると、20分もかかっていないだろう。準備や後始末を含めトータル1時間強ってところか。 術後、まずはお礼を言っても言い尽くせぬほどの感謝を伝えた。先ほどの「どっちの『うぉ---』ですか?」も非常に印象深い瞬間だったが、平先生が心の底から言ってくれた 言葉——「本当に良かった」その一言は今でも忘れられない。 スーパードクターと呼ばれている先生でも100%治るとは限らない手術だ。それこそ蓋(穴)を開けてみなければ、 わからなかったはずだ。 診察の時は「ジストニアは治ります」と、勇気をくれた先生だが、先生も人の子、不安な気持ちもどこかにあったはずだ。「本当に良かった」 その言葉には、患者への労いと先生自身の安堵が混ざっているように聞こえた。そんな率直な一言に、技術だけが優れているだけではなく人としての深みを感じた。 ——すごい人だ。そう思わされた。 指については、明日から“新しい右手”との付き合いが楽しみだが、この時点ですでにロレツがおかしかった。たどたどしくなっている。しかし、これも時間と共に回復するとのこと。 確かに、脳に電流を流すという大きな刺激を与えたのだから何かしらの影響があって当然かもしれない。 何はともあれ、ジストニアの手術は無事に終了した。 その後、マイルームに運ばれた。 頭に装着していたフレームは、オペが終わると同時に外されたがまだ痛みが残っていた。痛み止めを点滴に入れてもらったので、 そのうち効くことを期待するしかない。さらに、今日は脳に圧をかけてはいけないので、ベッドは30度までしか上げられない。首を起こしたり、急に立ち上がったりすることもできず、 トイレもベッド上での対応になる。腕だけは動かせるので、横になるなり今日おこったすべてを書き始めた。このかけがえのない体験を、時間と共に記憶が薄れる前に、 一瞬も逃さず残しておきたかった。同じように悩み、迷っている誰かの力になれるように——。 では、おやすみなさい。 ・・・・ところが、頭の痛みが取れず、 12時に再度痛み止めを入れてもらった。それでも効かず、2時40分には、より強い鎮痛剤をお願いした。 |
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・10 月2日 ~入院3日目 手術翌日 鎮痛剤のおかげで、いつの間にか眠っていたらしい。 ただ、何度も目覚めた。寝たような...寝てないような...そんな曖昧な感覚のまま、ただ時が過ぎるのを待っていた。 朝6時40分。看護師さんが検温と血圧をチェックしに来た。痛みの具合を聞かれ、ずいぶんと楽になったことを伝えると —— 「皆さんそうおっしゃいますよ~。だって、頭蓋骨に穴開けてるんですから」 ——!! なんと!どうりで痛かったわけだ。私はてっきり“頭蓋骨でピンを固定している”と思い込んでいた。実際には、ピンを“突き刺して”頭蓋骨に固定していたのだ! 今も表情を変えただけで、顔面上部に違和感が走る。左の頭頂部付近のキズはまさに大敵だ。それでも今日から絶飲食は解禁だし、一般の入院着にも戻る。 ひとつずつ、元の自分に戻る手ごたえがある。そしてついに、待ちに待った練習に取り組んでみた。指の収縮はなくなり、和音も連続で弾けるようになっている。 これは根本的なレベルでの、革命的な改善だ。 ......けれど、何かがおかしい。まるで他人の手で弾いているような感覚だ。鍵盤を“触っている”という感覚そのものが、以前とまるで異なる。 例えば、簡単に弾けていた“スケール”でさえ、親指や薬指の距離感が狂って弾けない。思うように指が動かないというより、触っている感覚がズレているのだ。 けれど、本当の大敵はきっと『焦り』だろう。一歩ずつ。精神的なダメージを残さぬよう、毎日を積み重ねるしかない! そんな中、今日もうひとつの驚きがあった。 字が思ったように書けないのだ。特に数字の『3・5・6・8・9』—— あの丸まりのある形が、うまく書けない。慎重に考えて書かなければ、みんな『1』っぽく棒みたいになってしまう。 また、激励のメールやLINEをもらっていたので、返信を書いてみた。ところがこれまたスマホの操作が思ったようにできず、文章が妙ちくりんになってしまう。 自分でも意味がわからない文章が生まれては、何度もお腹をかかえて笑ってしまった。顔のキズの痛みも忘れるくらいに。 ——これらの不思議な現象も、おそらく脳手術の後遺症なのだろう。とはいえ、今日で点滴もとれ身体にまとわりついていたものがなくなった。 明日には顔と頭に貼られていたガーゼやテープも外れるらしい。だんだんと身軽になり、『退院』が近いのを実感している。 |
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・10 月3日 ~入院4日目 今朝早い時間に、平先生が診に来て下さった。 昨日のいくつかの後遺症であろう変化を伝えると、いずれも時間と共に戻るとのことだ。 ロレツについても、「キレイに喋れていますよ」と言われた。明らかに喋れていないように感じているのに… 脳梗塞を経験された方がよく言う『自分にしか分からない違和感』—— なるほど、自分も今、まさにそれを体感しているのだ——そう実感した。 焦ってもしょうがないので、これまでも自分なりに工夫してひねり出してきた“独自のリハビリ方法”をまた模索してみるか。 そして今日のハイライトは—— なんといってもガーゼとテープが取れ、念願の“元の姿”に戻れたことだ。 気分爽快になったところで、シャワーも10時20分から使えた。 シャンプーも、患部に気を付けて丁寧に洗えばよいとのことだ。 色々とさっぱりしたところで、午後から面会に来た妻に写真を撮ってもらった。 |
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※赤丸 : 手術時にホッチキスで固定された箇所。針の数は実際に術中『9コ』と聞こえた通り。 ※青丸 : 頭部固定フレームによるキズ。術後、最大の痛みの原因となった。 若干患部が腫れているが、周りからキズは見えにくいそうだ。ジストニア手術の痛みは、全くと言っていいほど感じない。おでこのキズも日に日に落ち着いてきている。 とはいえ、やはり今日も一番気になっていることは……ピアノだ。 今日も昨日と変わらず、指がいうことをきいてくれないので、今日から練習の作戦を変えて、暗譜でどんどん新曲を頭に放り込んでいくことにした。 ともかく焦らずに—— 自分にできることを、積み重ねていこう。 |
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・10 月5日 ~退院 待ちに待った、退院日がやって来た。 今朝も、平先生が早くから診にきてくださり、現在の様子や再診日をいつにするかなどの打ち合わせをした。 先生いわく、「今のところ何の問題もない」とのこと。ただ、これからいろいろな症状が出てくるが、それらも“時間がクスリ”になるのだと再び言われた。 再度感謝を伝えて、10月29日に再診でお会いする約束をして別れた。 朝食を食べ終えて、部屋の片付けやキーボードの梱包などをのんびりとしていた。 10時前、息子が迎えに来てくれた。梱包や手続きで手こずるかもしれないと思って呼んでおいたが、 私を見てすぐにひと言。「どこも変わってないね。普通よ。」 ……なにげに悔しかったので、傷口を「ほら」と見せてやると、「お~」と、驚いていた。ロレツについては「ちょっと“ビミョウ”かも」と言われた。やっぱり家族はわかるか…… でもすぐに「他の人には、分からないと思うよ」と、優しく気を遣ってくれた。 そう言えば—— 手術翌日からリハビリも始まっていた。片足バランスや、階段の上り下り、右手での動作確認を行った。どれも問題なくこなせた。 リハビリの先生から「見事な回復力です!」と言われ、思わず照れてしまった。 最後となる昨日は30分ほど、先生と病院の外を散歩した。 その時、退院できずにいる患者さんの話を聞いた。脳の手術というのは、術後にどうなるかが本当に読めないそうで、痛みや麻痺が残って退院延期になる方も多いらしい。 私は少し右に傾きやすい程度で、ロレツも先生には十分通じていた。今日、こうして予定通りに退院できることが、どれほど幸運なことか——心から感謝した。 ……荷物をまとめ、看護師さんたちに挨拶をして、いよいよ退院手続きへ。 心配していたロレツも問題なく、息子の出番はとうとうなかった。 入院にかかる費用だが、事前に調べたところによると、保険が3割適応された場合でも、一般的には30~40万円ほどかかると言われている。 さらに、保険適応外の個室を利用する場合には、そのぶん料金が加算される。ただ、入院前の説明で“高額療養費制度”というものがあると聞かされていた。 これは、同じ月内に自己負担限度額が一定の金額を超えた場合、その分後から払い戻されるという制度だ。 さらに、あらかじめ高額な医療費が見込まれる場合には、“限度額適用認定書”を申請しておくとよい。 この認定証は、各市町村の窓口で直接申請できるほか、インターネットから申請書式をダウンロードすることもできる。 入院時に提出しておけば、いったん高額な料金を建て替える必要がなく、限度額を適用し金額のみを支払えばよいのだ。 私もこの認定証を利用したおかげで、5泊6日の個室利用にもかかわらず、実質の支払いは13~14万円程度で済んだ。高いか安いかの感じ方は人それぞれだろう。 けれど、私にとっては『ここまで来られた』対価として、想像していたよりもずっと安く感じられた。 ——もちろん、お金の問題ではないけれど。 そこから、キーボードの郵送手続きを済ませ、三愛病院をあとにした。 その後、息子に助けられながら空港へ。 ふらつきに気をつけつつ、無事にたどり着いた私たちは、真っ先に焼肉で祝杯をあげた。 6日ぶりのビールは格別だったが、酔いがまわるのがいつもより早く感じた。 福岡の自宅へ戻ったころには、すっかり日も暮れていた。思い返すと、本当に“あっ”という間の入院生活だった。でも、たった4日前の手術がなぜか遠い昔の出来事のようにも感じる。 不思議なものだ。 三愛病院は、あらためて居心地がよいところだった。看護師さんもスタッフのみなさんも、心からやさしく、まったくストレスがなかった。 決まった時間に体調管理(血圧や検温・血糖測定)をしてくれるし、食事も3食、私が何もせずとも運ばれてくる。そのうえ、自由時間はピアノ弾き放題。まるで王様気分だった。 それでも—— やっぱり、家がいちばんだ。明日からは、ピアノでのリハビリが始まる。先が見えない、長い闘いになるだろう。 でも今夜は、すべてを置いてここまでたどり着いたことと、退院できた喜びを家族と分かち合おう! |
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