2025.12.14 最新完結話 UP!

次回2026.2.15(日)開催

*2021年秋頃より右手に異変が起こる
*2024年10月1日にジストニアの『機能性脳定位術』という手術を受ける
*ジストニアで悩んでいる方の力に少しでもなればと考え、これまでの経緯を掲載することにしました。
以後不定期に更新します。

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目次

 『ジストニア』とは

 1.2021年秋頃
   『ん?? あれ??』
   ・ジストニアとの闘いの始まり


 2.2022年10月15日
   『オールバッハプログラム第八弾 組曲の夕べ The Finals』
   ・工夫を凝らし臨んだコンサート


 3.2022年10月16日~2023年2月24日
   『更なる弾き方の模索と鍼治療』
   ・2月コンサートへの焦り


 4.2023年2月25日
   『ドイツ歌曲とピアノの夕べ』
   ・不調な自分と向き合う覚悟


 5.2023年3月3日~
   『病院めぐりの始まり』


 6.2023年8月4日~
   『溝口整形外科』
   ・肘部管症候群 手術


 7.2023年10月7日~
   『術後 我慢の日々』
   ・虚しく過ぎる時間の中での孤独な闘い


 8.2023年11月16日~
   『新たな作戦』
   ・発覚! 右肩腱板炎


 9.2023年12月14日~
   『追い打ち』
   ・判明!!!!胸郭出口症候群


 10.2024年5月10日~
   『ジストニアとの闘い』
   ・ついに始動


 



 ジストニアとは


ジストニアとは、身体が自分の意志とは関係なく動いてしまう『不随意運動』の一つで、特定の筋肉が無意識にこわばってしまう。
これは脳からの誤信号によるもので、つまり脳の病気だ。 全身のあらゆる箇所に発症するが、その中でも特定の動作をしたときに現れるものを『局所性ジストニア(フォーカルジストニア)』という。


 局所性ジストニア(フォーカルジストニア)とは


職業性ジストニアともいう。たとえば、字を書く時に手がこわばってしまう『書痙』や、楽器を演奏するときに指や手首が曲がったり、伸びたり、こわばったりする 『音楽家ジストニア』などがある。
私の場合は右手の指(3~5指)が演奏中勝手に丸まり、こわばってしまう。なぜこうなるのか、その原因は今でもはっきりは解明されていないが、
同じ動作を長時間行い続けることで発症することが多いと言われている。

 ピアニストのジストニア~その原因と影響


音楽は感情の表現などを『音』にして表現するものではあるが、その背後にはいろんな筋肉が関わっている。ピアニストにとって最も大事な筋肉は、指と指の間にある『虫様筋』だ。 この筋肉が繊細な動きをコントロールして、豊かな音色や微妙なタッチを生み出している。『虫様筋』は、指の第三関節(MP関節)を使って物をつまむような動きをしたときに働く。 しかし、この虫様筋を過度に使い、疲れ果てると、代わりに前腕の『浅指屈筋』という筋肉が無意識に使われるようになる。
『浅指屈筋』は、ラケットを握るときのように、握力を使う動作で働く筋肉で、指の第二関節(PIP関節)から握る動作をするときに使われる。
本来使われる筋肉ではなく、異なる筋肉が使われることを『代償動作』と呼び、これがジストニアの始まりのきっかけにとなる。この代償動作を繰り返しているうちに、 その動きが脳に刷り込まれ、脳からの誤った信号が送られるようになる。その誤信号に従った動きがフォーカルジストニアを引き起こすのだ。



 1.2021年秋頃 『ん?? あれ??』
・ジストニアとの闘いの始まり

右手4・5指が意志通りに動きにくくなり、弾いている時に指が丸まったりする違和感が出始めた。この時はまだ『ジストニア』という言葉やその意味はうっすら知っていた程度だった。

ちょうどこの頃、YouTubeチャンネル『BACHIKARA』を立ち上げた時期でもあった。生きた音楽を伝えたい・臨場感を大事にしたい・未来の人達のバッハ演奏に役立ててほしいという 強い想いで始めたYouTubeだったので、編集などで誤魔化さず、全曲一発撮りの真剣勝負を選んだ。しかし、これがやってみるとなかなか手強く、1音1音を納得できるまで 妥協せず撮り直しを繰り返したため、思った以上に時間がかかってしまった。5月から取り組み始めたものの、11月になってようやく初投稿が実現した。
特に最初の作品『Französiche Ouverture(フランス風序曲)』1曲目『序曲』は、おそらく100テイク以上は撮ったと思う。

そんなある日、ふと「あれ?」と右手の感覚がいつもと違うことに気付いた。薬指の曲げ伸ばしが何かおかしい。 つられて小指も何だか変だと感じた。 その時はどうせ一時的なものだろう、寝たら治る程度にしか思っていなかった。後に分かったことだが、ジストニアになる原因の一つは、過度に弾きすぎることらしい。
そんな事とは露知らずYouTube の投稿を進めるために、いつも以上に張り切って弾きまくっていた。。



 2.2022年10月15日『オールバッハプログラム第8弾 組曲の夕べ The Finals』
・工夫を凝らし臨んだコンサート

指の具合は相変わらず良くはなく、自分の指に合った弾き方、指の関節・手のひら・手首・肘・肩を駆使して、望んだ音を出す工夫に明け暮れていた。

この日は『オールバッハプログラム』の『組曲シリーズ~the Final』のコンサートの日だった。
2013年から毎年取り組んでいたオールバッハプログラムだが、コロナの影響で実に3年4か月ぶりのコンサートとなった。
この日の演目は『平均律第一巻のH durとh moll』『フランス風序曲』『パルティータ第六番』とバッハに精通している人なら唸るような難解なプログラムだ。
この組曲シリーズを始めた時から、最後はパルティータ第六番と決めていただけに思い入れも強かった。
しかしコロナの影響で毎年肩透かしを食うような延期の連続。早く演奏したいというもどかしい気持ちはあったものの、 逆に指の動きをチェック出来る時間的猶予をもらえた!と前向きに考え、一音一音、音の出し方や弾き方の工夫に時間を費やせた。
細か過ぎる程の入念なチェックのおかげで、本番はお客さにも喜んで頂けた演奏になった。
幸い指の事も気づかれずに無事コンサートを終える事が出来て心底ホッとした。



 3.2022年10月16日~2023年2月24日『更なる弾き方の模索と鍼治療』
・2月コンサートへの焦り

症状が進行しているようでそれぞれの指が更に自分の意志と違う動きをするようになる。
4・5指の丸まりと、2・3指が小指方面へ引っ張られるため右手全体が委縮する。そのため以前は無意識に弾けていたオクターブや、和音が揃わない、 連続で弾けない等の症状がひどくなってきた。
ここにきて、もしかしてジストニア?と疑い、いやいや違うでしょと否定する暗と明が自分の中で闘っていた。
しかし本番が終わるまではその気持ちに蓋をして演奏に集中することにした。

知人の情報で神経系だったら『鍼(ハリ)』も効果があると聞き、11月11日より鍼の治療を試みる。
数回施術を受けたのち、コンサート約一月前の1月27日に施述後帰って弾いてみると、筋肉が痛んで練習にならなかった。
本番までの残りの日数を考えると弾けなくなるのが恐ろしくなり、鍼を辞める事にした。
通算8回通ったが結果は芳しくなかった。
また指の事を打ち明けていた北九州の先輩ピアニストから、長年通っていてご自身には効果が絶大だったという整体の先生を紹介して頂いた。
日本に『整体』という言葉を作った『野口晴哉(はるちか)』先生の直系のお弟子さんだそうで、12月7日にお伺いした。
施術は経験のなかった方法で、これが効いているのかどうか正直ピンとこなかったがお話をお伺いすると、時間をかけて身体の根本から整えていくものらしく、 ほんの数回で治る様なものでは無いと知らされ納得した。身体の事を想えば良い施術だとは思うが、今の自分には時間が無く悠長に待ってはいられないので丁重にお断りした。



2022年12月20日撮影 横から~上から撮った動画
ご覧の様に3指(ミ)5指(ソ)をトレモロでだんだん速くしてゆくと、右4指が丸まってきて5指も突っ張て来て鍵盤から離れにくくなっている。2指(レ)5指(ソ)のトレモロも3・5指の動きに加え3指までも丸まり始めている。 19秒時点で弾き直しているが、この頃は腕を内側に向けて5指側に手を倒すと弾きやすいと思っていたが、さして変わっていない。27秒から上からの撮影になる。正常な左との違いがよくわかる。右手首に鍼治療のテープが貼ってある。


 4.2023年2月25日『ドイツ歌曲とピアノの夕べ』
・不調な自分と向き合う覚悟

この日のコンサートは以前教えていたM・Nとのコンサートだった。M・Nは現在テノール歌手として活躍している。
今回のプログラムはベートーヴェンとシューマンだ。ドイツ歌曲のピアノとソロがあるが、困ったことに今弾けないオ クターブ・和音・アルペジオのオンパレードだ。

昨年10月15日のコンサートが終わってからは新たな闘いの日々で試行錯誤の連続だった。
指の形を第二関節から曲げて固めて打鍵したり、鍵盤を押す場所を指先から指の腹に替えてみたり、肘を外側に思いっきり張って手の 位置を調整したりと、人が見たら何やってんの?と言われそうな動きを編み出していた。
更なるワザを見つけるべく、眠たくなるような遅いテンポで一つ一つの音と動きを確認しながら少しずつテンポを上 げていく。この作業を日々繰り返していたが、これはお手上げ、今回のコンサートでは恥をかくかと腹をくくったのは 本番二週間ほど前だった気がする。若い頃だったら無責任な演奏はもっての外。とコンサートを取りやめていたこ とだろう。しかしこのコンサートだけは辞めるわけにはかなかった。
理由は・・・一年半ほど前、さほど指の事を気にかけていなかった頃、若いうちに大きな経験をさせようとMにコンサート話を 持ちかけた。同時に若い音楽家に、コンサートを開催するまでの段取りや仕組みを伝えたかった。Mは大喜びし、 この時点で目がキラキラしていた。なんたってデビューコンサートになるわけだから。実際にコンサートまでの一年 半以上の期間、運営面でも集客面でも、もちろん音楽も想像をはるかに超える成長を見せてくれた。コンサートが 近づくに連れMの目は次第にギラギラからバキバキへと進化を遂げた。そんな全身全霊をかけているMに辞める なんて言えるわけがなかった。

ピアノで歌の足を引っ張るわけにはいかないので、歌曲のピアノのみ和音の音を減らしたり、オクターブを一音にし たりと試してみた。本来私が最も嫌う行為だが。Mにはすべて話していたので、この方法を伝え実際合わせてみた ところ支障ないとの判断だったので、Mとベートーヴェンとシューマンに心の中で詫びを入れ本番に臨んだ。ソロに 関しては終演後頭を下げて回るかと思っていた。
失敗すると分かってステージに向かうメンタルの強さは、この歳(当時 57)とこれまでの経験が成せる業だろうか。 当日演奏中も含め、時が正確にゆっくり残酷に流れているのを冷静に感じていた。緊張感が薄くどこか俯瞰で自分 を見ているような冷めた感覚。良い意味ではないが、腹が座るとはこういう事かと思いながら一日を過ごした。
終演後、蓋を開けてみると皆さん笑顔で出迎えてくれ、喜んでくれていたのには正直驚かされたしホッとした。
ただ、私の本来の演奏を知っている音楽家達には演奏の異常事態に気づかれてしまい、ショックを与え、簡単だが指の 事を説明せざるを得なかった。
こうしてごく一部の音楽家に知れる事になる。



 5.2023年3月3日『病院めぐりの始まり』
・2023年3月3日 近所の整形外科

指の事は一部の人にしか知らせていなかったが、コンサートがひと段落したら色んな方に尋ねてこの症状と向き合おうと思っていた。
またネットで調べたくてしょうがなかった気持ちも解禁した。本番前では見たくもない文章や情報を見せつけられてしまうと、 演奏に集中できずにあれやこれやと妄想することを恐れたからだ。
実際に調べてみると、この現象はフォーカルジストニア(脳)か尺骨神経の麻痺(中指半分から小指にかけての動きを支配している神経、処置は整形外科)のいずれかに辿り着く。
大体のことは頭に入ったので、まずはかかりつけ医の整形外科の院長に相談に行くところから始めた。
症状をいうと指の筋肉や神経の説明をして下さったが、ジストニアの単語を出すと表情が一変。整形外科は首から下が診察範囲なので、ここでは対処出来ないと言われた。
言われると確かにそうだ。脳となると話は別だ。自己判断的にも尺骨神経よりもジストニアよりに気持ちが傾いていたので、とりあえず脳から攻める事にした。
そして専門家がいる『浜の町病院』の脳神経内科・脳神経外科の受診を勧められ、紹介状を書いてもらった。


・2023年3月6日 浜の町病院 脳神経内科 ランドセン処方

さっそく紹介状を持って浜の町病院に乗り込んだ。そこでは脳神経内科の先生を紹介された。紹介状を読むなり難しい顔をされた。
やはりジストニアとはそうそうある病気ではない上、実際に診察をした事が無いらしく先生自身もお困りの様子だった。詳しくはわからないらしい。
脳神経内科での対処としては薬の処方になる。先生の知識からジストニア患者に効いた事があるらしい『ランドセン』という薬を紹介された。元々は癲癇(てんかん)の薬らしい。
もう何でもかんでも試すつもりにしていたのですぐに処方してもらった。一週間ほど飲んでみて効果がみられなければやめてよいとのことだ。
そして実際に張り切って飲んでみたが、何一つ変わらず笑えた。もちろん中止した。

・2023年3月27日 耳より情報 各分野の専門家

浜の町病院の再診。ランドセンに効き目がみられなかった事を伝えると、対ジストニアの薬はあと4種類ほどあるらしく、ここでは順番に試す方法しかないと言われたが あまり期待を持てなかったのでそれは丁重にお断りした。ただしそこで耳より情報をゲットした。
何でも『福岡未来病院』の脳神経外科に、ジストニアの外科手術を行っている先生がいらっしゃるとの事だ。人事異動がなければまだそこにいらっしゃるはずなので 尋ねてみてはと、机に挟んであった記事をメモさせてもらった。
手術についてはネットで調べ上げた時にちょいちょい出て来ていたので、どんなもんかは何となくは知っていた。自分的には始めからこの手術しか無いのではないかと うっすら感じていたので、来たか!という思いで話を聞いていた。

話は少しそれるが、私の義兄は皮膚科のドクターをしている。ジストニアという特殊な病気という事もあり、年明けには告白していた。
その兄が色々と尋ねてくれ、済生会病院の脳神経内科の先生に辿り着いたそうだ。残念なことにその先生もジストニア患者の経験は無かったのだが、 先生のお父様が脳神経内科の権威で経験豊富なので相談してみては?とのことだった。『福岡中央病院』にいらっしゃるらしい。兄の人脈に感謝だ。 上記の事を浜の町病院の先生へ報告したのち、福岡中央病院へ行ってみよう。次なる一手に胸が高まった。

・2023年3月30日 最後の浜の町病院

経緯をお話したところ、福岡中央病院の先生は『K先生』といい脳神経の世界ではかなりの有名な方らしく、相談に伺うことにとても賛成された。
数日前に右腕全体に少し痺れが出たと告げると、頸椎のレントゲン写真を添えて紹介状を書いて頂く事となった。
この時点で浜の町病院は終了だ。お世話になりました。


・2023年4月12日 福岡中央病院 脳神経内科 嬉しい出会い

ようやくこの日に福岡中央病院の『K先生』にお会いすることができた。今回は難しい話になるかもしれないので兄にも付き添ってもらった。
先生は紹介状を読むなり動きが止まった。やはりジストニアという単語は先生たちを一瞬固まらせるらしい。
今日は相談のつもりで来たのだが、紹介状を読み終え簡単な経緯を話すと直ちに診察に入られた。 40分間ほどの全身をくまなくチェックするような先生独特の検査で、その結果右手5指の力が明らかに落ちている事と、右足の5指も左より反射や筋力が落ちている事がわかった。 診察に同行してくれていた兄も後方で見ていてわかったといったぐらいに。前の病院で右腕の痺れを申告していたこともあり、 もしかしたら右側頸椎の損傷からによる神経の麻痺ではないか?という嬉しい(?)診断だった。思わずジストニアじゃないのかも!という希望を持ってしまった。 ただしジストニアの可能性がなくなったわけではないので、ジストニアの可能性も残しつつ頸椎の方からもチェックを入れる方針になった。明後日MRIを撮ることにした。 ジストニアとは検査などで決定的な答えが出ない病気なだけに、明瞭で的確な診断がこれからの方向性を示してくれたようでスカッとした気持ちになった。 先生が演奏中の指を見たいということで4月13日に撮影した。この時も症状は進行していた。




2023年4月13日福岡中央病院に提出するために撮影。
J.S.バッハのファンタジーBWV.904を横と上から撮った動画
右3~5指は更に言う事をきいてくれず勝手に丸まる。ポジション移動の時がかなり大変そうに見える。 上からの撮影の方が顕著にわかる。
正常な左に比べると動きが硬く、手首から前腕の動きがまるで違う。


2月のコンサートで弾いた歌曲『詩人の恋』の7曲目
和音が連続で弾けない例
音は鳴ってはいるが自分の思い通りの音にはなっていない。コンサート時は丸まってくるので、丸めたまま第一関節で弾く事もあった。

この時点では今年10月26日に予定しているオールバッハプログラムを開催するつもりだったので、みっともない弾き方だろうが無様な姿勢だろうがやってやる!の強い想いで日々弾き方・想った音の出し方を模索していた。
この時の練習方法として、昔自分で作った指のメカニックの訓練(各々の指の独立を目的とした体操みたいなもの)を元に、一つの打鍵を1秒として各関節を曲げたり伸ばしたりしながら、いかにストレスなく打鍵できるかを調べていた。
またハノン(教則本)の1~20までを一音1秒で弾き、手のひらを横に傾けたり手首を思いっきり下げて弾いたりと研究を重ねていた。結果、音形にもよるがやや小指側に手の平を傾け指も伸ばし気味、 指の右外側で外向きに打鍵すると若干弾きやすい事が判明した。この時の状態をメモしていた紙はA4用紙で何十枚あっただろうか。


・2023年4月14日 頸椎ヘルニアとエチゾラム処方

福岡中央病院MRI。診断結果は先生の読み通り、軽度の頸椎ヘルニアだった。処置としてカラー(交通事故などでむち打ちになった人が、首の固定を目的に着ける装具) を半年ほど着ける事と、投薬でしばらく様子を見ることになった。
ここではジストニアに効くとされる薬は二種類あり、その内の一つ『エチゾラム』を試してみることにした。この薬はいわゆる眠剤で、体をリラックスさせ緊張をほぐすそうだ。 自分の状態を見ながら飲んだり飲まなかったりして良いそうだ。効き目が感じられなかったら前出の浜の町病院同様止めていいらしい。
ただこの薬は長期間取り続けると将来物忘れがひどくなるそうで、この先の暗譜の事を考えると試すくらいにしか飲めないなと思った。効けばラッキーだが。 そして次回は『針筋電図』という恐ろしいネーミングの検査だ。筋肉の動きがどの程度落ちているかを調べるらしい。 加えて動画データを提出してきた。(前出動画)

・2023年5月25日 針筋電図

針筋電図の検査の結果、筋肉そのものには異常な波形は見当たらなかったとのことだ。これで筋肉の線は消えた。
ただ以前調べていた際に度々行き着いた、自分に症状がよく似ている『ギヨン管症候群』なる言葉がずっと頭に引っかかっていた。尺骨神経の麻痺から起こる症状だ。
この旨を話すと、次回は神経系の筋電図を撮ってくれることになった。 頂いた薬『エチゾラム』は指の動きに効いているかどうかピンとはこなかったのだが、 眠剤といわれているせいかぐっすり眠れている気がするのでもうしばらく飲み続けてみよう。また前回提出した動画の感想は、やはりジストニアの疑いは払拭できない。 特に4指の動きがそれっぽいのと、5指も怪しいとのことだった。

・2023年6月29日 最後の福岡中央病院 神経系の筋電図

神経系の筋電図の検査の結果、神経系に異常が見られた。ジストニアとすると脳が誤信号を神経に伝える病気なので当然のことかもしれない。 頂いた薬が指に効いているとは思えないことを伝えると薬は中止になり、頸椎の方も首にカラーを半年間付けるとのことなので、ここではすることが無くなり終了となる。
残るはジストニア疑惑だ。以前浜の町病院でメモさせて頂いた先生がいらっしゃる『福岡未来病院』の脳神経外科医『M先生』をここでも紹介された。
当然次の一手はそこしかないので最短でお会いできる日を頼み、帰宅後さっそく7月14日に予約した。どうでもいいからハッキリさせてくれ!という気持ちが続いていた中、 消去法で次々とこの指の原因を解明して頂いたK先生には感謝しかない。素晴らしい診察であり名医だ。ありがとうございました。


・2023年7月14日 福岡未来病院 脳神経外科

ついに脳神経外科か!という思いで福岡未来病院にやって来た。今回も兄が付き添ってくれている。
『M先生』とお会いして一時間半ほどお話しした。温和で優しそうな先生だ。 対処法としていくつかの方法を紹介されたが、最善の方法を尋ねると私が想像していたのと同じ『機能的脳定位手術』だった。
この手術は、頭蓋骨に穴を開け、『視床下部と』いう場所を70度に熱した鉄の棒で焼きながら、本人の意識がある状態の中で指の動きがスムーズになるピンポイントを探るという術式だ。 これしかないと言われればそれしかないので最短でいつ出来るかを尋ねると、同行していた兄が家族と話し合ってから決めた方が良いのではないか?と冷静に私の暴走を止めてくれた。 先生も了承し一旦持ち帰ってから連絡をすることになった。
帰宅後妻に話し、術式や同意書・リスクにかかわる書類に目を通してもらった。当然と言えば当然、 すぐには首を縦に振ってもらえなかった。 その夜、やはり健康な頭に穴を開け家族にも心配をかけ、しかも100%成功するかわからない手術を断行する前に何か手はないかと考えていたら、 以前ネットで調べた際に見かけたことがある『手外科』なるものを思い出した。無駄な抵抗かもわからないがそこを受診してから脳へ行こうと決めた。
翌日親戚の整形外科医に電話をして事情を説明した。やはりいきなり脳に行かずに手外科の専門医に一度相談することを勧められ、 これまでの実績が多い『溝口整形外科』という病院を教えてもらった。


 6.2023年8月4日~『溝口整形外科』・肘部管症候群 手術
・2023年8月4日 初診

始めての手外科だ。担当医に一通りの経緯を話した。
先生は過去に何人かジストニア患者を診ておられるらしく、私の場合はジストニアにしては症状が小さく 整形の範囲ではないかと嬉しいことをおっしゃってくれた。以前の患者さんは見るからにジストニアとわかったらしい。一応ここでも筋電図とCT検査をしてもらった。 福岡中央病院と同じ診断結果で、ごくわずかな異常しか見られないとのことだ。 先生の見解は右手4・5指の丸まりは恐らく肘部分の 『尺骨神経(中指の外側半分~小指までをつかさどる神経)』が圧迫されていることによる軽い麻痺ではないかということだった。
病名は『肘部管症候群』だそうだ。これは手術で治すものらしく、肘部を開き尺骨神経の筋肉や筋膜を削ぎ元の位置に戻す『剝離手術』だそうだ。 ただ成果が0か100かのチャレンジ手術になるらしい。チャレンジで100か!と迷わず最短可能な術日を聞き10月4日入院の5日手術の予約をしてきた。
これで治ってほしいというか前進できることを大いに期待している。

・2023年9月20日 術前検査

術前検査。心電図・血液検査・レントゲンの検査をした。異常はなかった。






溝口整形外科入院前日に撮ったもの。
J.S.バッハのインヴェンション13番と以前にも録画したシューマン。上からと横からの動画。
4月13日に撮ったものより3指も丸まりが強くなっている。バッハの場合左右一音ずつの2声なので、指使いを替えてなんとか弾いている。
シューマンは以前より状態が悪化しているのが伺える。
ちなみにこのシューマンは和音の連続ということで、一番変化がわかりやすい曲なので今後も録画を続けた。

・2023年10月4日 入院

溝口整形外科入院。PCR検査と入院手続きをするために9:50に来た。その後の予定は手術に係る重要なことはなかったので、 予想していた通り暇を持てあますところだった。『時間』がこの世で最も尊いと思っている私にとって無駄な時間を過ごすのは許しがたいことなので、 次回の講座の資料を山ほど持ってきていて正解だった。
今回は4人部屋ということもあり周りにも気を遣いながら次の内容が大方出来上がり時間を有効に使うことが出来た。 21:00 には消灯だ。周りは真っ暗になり、同時に明日の手術が終わるまで絶飲食になる。普段こんなに早く寝ることはないので眠れるだろうかと心配していたが 魔法にでもかかったようにちゃっかり寝ていた。始めての入院だが病院とは不思議な空間だ。


・2023年10月5日 手術

手術日。起床時間は6:30で起きたはいいが絶飲食中なので、また暇なひと時を過ごさなければいけなかった。講座の続きを進めているところ担当の看護師が 9:00にやってきて手術の説明をされ、手術着に着替えさせられ点滴を入れられた。
11:48にストレッチャーに乗せられ手術室へ連行され、 点滴に少しボーっとする薬を入れられ伝達麻酔の腋窩(えきか、脇の下に打つ)ブロックという局所麻酔を打たれた。私は手術に対しての怖さより好奇心が勝 つ人間なので胃カメラや大腸検査でも麻酔をしたことが無い。自分の胃や大腸を見られる機会を逃すものかといつもガン見している。 そういった悪趣味を持つ私は今回も先生と話しながら隙あらば手術シーンを覗く腹積もりでいた。しかしカーテンで仕切られ作戦は失敗に終わった。 じゃあ一度も寝たことのない麻酔で寝てみよう!と作戦を切り替え麻酔のおかわりを注文した。
次に目を覚ましたときには既に手術は終わっていた。 そのままストレッチャーで病室まで運ばれた。痛みや気分の悪さなどは微塵もなかったが、昨晩からの絶飲食でお腹がすいていたので早速食事の催促をした。 やがてお粥が運ばれいつも通り右手で食べようとしたが、ギブスで手首から肘上10㎝まで固定されているのであと口まで15㎝のところまでしかスプーンは届かない。 自分でウケながら左手で食べた。こういう時両利きは便利だとつくづく思った。
その後も痛みもなく鎮痛薬の出番もなかった。看護師さんが言っていたのだが、 術後人によっては全く痛くない人や反対にすごく痛がる人がいるそうだ。痛くないのはラッキーだが、自分はむしろ痛みを感じない領域にきてしまったのではないか? という疑問すら持ってしまっている。今日右脇横に打たれた伝達麻酔の針は結構な長さと太さだったが、それもさほど痛く感じなかったことを思い出す。 なんにせよ手術は無事終わって明日退院だ。たった2泊3日だったが一刻も早くこの規律の上に成り立っている息苦しい場所から立ち去りたかったので、 妻には看護師さんの説明よりも30分早く来てもらうように頼んでいた。さあテレビでも見て寝るか。


・2023年10月6日 退院

退院。約束通り早めに迎えに来てくれて(ありがとう!)晴れて自由の身になった。
帰宅後気分とか悪くなかったのだが、なんとなく横になったら2時間ほど寝ていたようだ。やはりなんらかのダメージを受けているのだろう。
さあ、明日からのリハビリに期待しよう!



 7.2023年10月7日~『術後 我慢の日々』
・2023年10月7日 虚しく過ぎる時間の中での孤独な闘い

居ても立っても居られなかったので退院翌日にもかかわらず以前取り組んでいた練習を色々試してみたが、思った動きにはならなかった。
0か100と言われて臨んだ手術なので0にはしたくない気持ちはあったものの、まぁ仕方ないか。周りからも焦らず少しずつ無理をせずにリハビリに取り組んだ方が良いと アドバイスを受けていたが、少しは無理をするつもりだった。ありがたいことだが。


・2023年10月13日/17日

傷口消毒&取替え。状態は良好だそうだ。自分の傷口と初対面出来た記念に撮影した。


・2023年10月18日 この頃の練習法

昨日まで自分で工夫しながらあみ出した様々な方法が、今日になって少しだが良い変化を起こし始めた。術前より4・5 指の動きがスムーズになり、 わずかだがコントロールも出来るようになった気がした。


この頃の練習法で取り組んだ練習はまずは各指の広がりからだ。①親指をドに2指をド#に置く。この二音を反復で4回繰り返す。
次は2指レ・レ#・ミ・ファ…と順次広がるまで 拡張していく。それぞれの指の組み合わせですべて弾く。(1・2、1・3、1・4、1・5、2・3、2・4、2・5、3・4…と)この時に手首も小指側にひねったり反対に親指(内側)に 倒したりしたり、立てたり下げたりと自分の動きやすい角度を見つけながら右手と会話する。また肘や腕の角度も重要だ。逆向きも(5・4、5・3…)同様に行う。
②ハノン1番を全調で16部音符=60で弾く。最初はCdur(ハ長調)で弾き、次はDes dur(変ニ長調)→D dur(ニ長調)→Es→Eという風にH dur(ロ長調)まで。
白鍵だけだと同じポジションの練習にしかならないので黒鍵が入った方がより実践的だ。また短調でも同じことを行う。これを和声短音階でやっていくのだが、増2度がやたらと 弾きにくく良い練習になる。この時に大事なのは指の関節も意識して練習することだ。
③あるポジションを決める。(例えばドミファソラやドミ♭ファ#ソ#ラ#など) このうち二つの音を押しっぱなしにし、残りの3つの音のすべての組み合わせで弾く。全部で120通りある。例えば1・2を抑えっぱなしにして残りの3・4・5の 組み合わせだと3454・3435・3545・3534・4345・・・という風に。これは上記①②を組み合わせた練習だ。
※以前にも書いたが、術後も手首や肘・手のひら・各関節の角度や弾きやすさはやはり同じだった。


・2023年10月20日 抜糸

今日は待ちに待った抜糸だ。ギブスにより肘の曲げ伸ばしが利かない笑える日々とも今日でお別れだ。
診察時抜糸そのものは何ともなかったのだが、 現状画期的な回復は見られていない旨を主治医に伝えたところ、何でも神経というのは一日に1ミリしか伸びないらしく、もう少し時間をかけて回復を待つようにと言われた。
すかさず、ではいつになったら伸びきるのか?と尋ねたら人によって差はあるものの3か月~半年は少なくともかかるらしい。つまり3か月で1月頃か。 そんな悠長なことは言っていられないのでそれまでは独自の訓練で治してやる!と心に誓った。



 8.2023年11月16日~ 『新たな作戦』
・2023年11月16日 発覚! 右肩腱板炎

術後今日で約40日になる、一日に1ミリしか伸びないとすると神経は4cmぐらい伸びた頃だ。それでもまだ肘部付近だろう。 あまり変化がない肘を見せに4・5週間おき通院するだけではやるせない。リハビリにもなるピアノは日々訓練を怠るわけがない。
では他に何か手はないものか?と考えて今日やってきたのが、前に溝口整形を紹介してくれた親戚の整形外科医がいる病院だ。
術前から色々と相談にのってもらっていたし術後報告も兼ねて訪れた。気楽に何でも話せるところがありがたい。彼もやはり他の先生同様、 時間をかけて様子を見るしかなく決して焦らないようにと助言してくれた。やはり肘に関しては神経伸び待ちしかないようだ。
そこで以前から少しだけ違和感があった右肩を攻めることを提案してみた。もしかして指に影響があるんじゃないか?と思ったのだが、あまり関係はないとのことだった。 しかしひょっとしたらゼロではないかも。と微妙なニュアンスで優しく慰めてくれた。症状は腕をぐるぐる回すと何かに引っかかる感じがし、 肩周りがゴリゴリ鳴り若干痛みがある。その旨を伝え診察をしてもらった結果『右肩腱板炎』という病名だった。 この病気は首や頸椎・肩甲骨に負担をかける『前首』『巻き肩』など、同じ姿勢を長時間続けると発症するそうだ。
長年ピアノを弾き続けていたための職業病とも言える。恥ずかしながら若い頃演奏時の姿勢が極めて悪かった私は(現在は姿勢良し) 長年のツケが回ってきたかと妙に納得してしまった。今年4月のMRIで頸椎ヘルニアが見つかった時も姿勢のことを指摘された。 これを直すにはリハビリしかなく、この病院でお世話になることになった。11月20日に初リハビリを予約してきた。


・2023年11月20日 初リハビリ

約束通りリハビリにやってきた。紹介された先生はとてもソフトな感じの好青年だった。
主治医から申し渡しがあったようで腱板炎のことは理解されていた。ただ、先月肘の手術をしたこととジストニアのことは知らなかったようで、 付け足して補足説明をすると『手強い患者が来たぞ』というオーラを出された。ジストニアについてはボヤっとしか知らないらしく、 これから勉強して来ます!と嬉しいことを仰ってくれた。私の本当の目的は指だが、ここでは腱板炎の治療になる。ストレッチだ。 肩だけでなくその周りの筋肉や肩甲骨までと範囲を拡大し整えていくらしい。様々なストレッチを受けながら同時に出てくる聞いたこともない 筋肉名や骨の名称などを知ることは私の大好物なので、あっという間の一時間だった。
指のことはいったん置いておいてここでは身体について学ぶことにした。
次回からも楽しみだ。


・2023年11月30日『なぬ!?』

リハビリは週2ペースで楽しく続けている。今日は診察もあった。
主治医と会うなりいきなり両手を高く上げてバンザイしてみてと言われ、 何のことかわからなかったが言うとおりにすると『胸郭出口症候群』の疑いがあると言われた。この一回聞いたぐらいでは聞き取れないような病気は、 腕を上げると鎖骨下の動脈が圧迫され腕から先に血液が流れなくなる病気だそうだ。先ほどの意味不明なバンザイはこの病気のテストだったのだ。 結果見事に両手とも見る見る真っ白になった。今まで全人類皆なるものと思っていた私は衝撃を受けた。症状がひどい方は腕のしびれや痛みを伴うらしい。 私の場合そのような症状はまったくなくごく軽症だそうだ。
主治医が外来診察に行っている他の病院にこの病気を確実に判定できる最新MRIがあるそうだ。 症状が軽い上にバンザイポース長時間とることはないが、血は指にもつながっているのでハッキリさせようと思い予約を入れてもらった。
12月14日に今年何回目になるかわからないMRIを撮ってもらうことにした。



 9.2023年12月14日~ 『追い打ち』
・2023年12月14日 判明!!!胸郭出口症候群

今日はMRI撮影の日だ。この病院のMRIは通常ある狭い筒の中に閉じ込められるものではなく、初めて耳にするオープン式というものらしい。
私は暗いところも閉ざされた空間も平気だが、暗所恐怖症や閉所恐怖症をお持ちの方にはオススメだな、とか思いながら撮影ルームにやってきた。 なるほど始めてみる衝撃マシンだった。天井が丸見えだ。
今回撮るのは鎖骨下の動脈なのだが胸郭出口症候群は手を上げた時に血流が止まるので、通常の腕を下ろしたものと比較するためバンザイした。
状態で首を左右に傾けたものをそれぞれ撮影してもらった。結果は左右ともバンザイ時に見事に血管が圧迫されていて胸郭出口症候群ビンゴだった。 おおよそわかっていたこととは言えスッキリはした。私の場合の対処法はやはりリハビリらしい。ただし二つの病院でリハビリは受けられないらしく、 年内は今のところで受け年明けからはこの病院でお世話になることにした。しかしこうも次から次に色んな病気が発見されると次は腰か?足か? とまだ続きがありそうな気になってくる。
肩腱板炎にしろ胸郭出口症候群にしろピアノを弾いている姿勢から患った病気だ。 これはもう仕方のないことなので腰を据えて治療に取り組むしかないか。
指はというと相変わらず変化が無く、むしろ3指まで丸まりが強くなっている気がする。 こっちはこっちでピアノで治してやる!と鼻息荒く気合を入れ直した。


・2024年1月26日 二件目のリハビリ

今日からはこの病院でお世話になる。前の病院のリハビリの先生が仰っていたが、ここは整形外科もリハビリも超有名らしく先生たちは猛者ぞろいらしい。
プロの野球選手やサッカー選手も通っているそうだ。なるほどリハビリルームに来たら熱気ムンムンでおまけにだだっ広い。 先生方も筋骨隆々といったうわさ通りの猛者ぞろいだった。まるで道場みたいだと思っていたら担当の先生がいらっしゃった。 姿勢も筋肉もパーンっと張っているまさにザ・リハビリ師といった方だった。とても柔らかい穏やかな話し方をされる方だったが、 こちらがジストニアという魔法の一言を出すとさすがに唸っていた。
胸郭出口症候群や腱板炎がジストニアに影響している可能性としては低いとやはり主治医と同じ事を仰っていた。 それでも神経や血管は指にもつながっているので良い方向に進むことを期待しながら取り組みましょうと仰ってくれた。いずれにせよ身体が良い状態に向かうのは確かなのだ。 施術はここでもストレッチやマッサージになる。以前よりもピンポイントに教えて下さった。自宅でも出来るゴムやストレッチポールを使った訓練も学んだ。 帰宅後さっそく購入した。届いたら毎日ストレッチに励もう。


・2024年1月27日~5月9日 我慢の限界

久しぶりの記述となる。あまり変化が見られなかったからだ。
この約100日のあいだ、現在リハビリを受けているこの病院と手術を受けた整形外科にも 定期的に状態を見せに行っていたが指の状態は一向に良くなる気配が無かった。
先生から神経が戻るのが人によっては三か月から半年かかると聞いていたが、もうとっくに過ぎている。そのことを尋ねたらまだ時間がかかる人もいるらしい。 ここの主治医に聞いてみても答えは一緒だった。
あー、じれったい!リハビリはというと1~2週間おきに真面目に通っている。 こちらはこちらでピアニスト、いや音楽家全般に大切な『姿勢』について多く学べているので、私にとって大きな財産となっている。 家でストレッチや習った訓練を実践していることもあり、リハビリの先生からも姿勢が随分良くなり血流の流れや肩周りの可動域が広まってきたとほめられた。 何歳になってもほめられると嬉しいものだ。
しかし、いや待てよ、喜んでいる場合じゃない。問題は指でしょ。と365日24時間大げさではなく寝ている間さえも 気にかけている指がもとに戻ってもらわないと話にならない。ピアノでの鍛錬は日々怠らなかったが、良い発見をした時に指の動きがスムーズな気(?)がすれば正直に喜び、 逆に悪いと虚無感に襲われる一喜一憂の日々が続いていた。表向きは冷静を装っているが目には見えない頭や心の中は目まぐるしく大騒ぎを繰り返している。
毎日そんな私の状態を見ている妻にはこの気持ちがばれているだろうが、いつも焦りなさんな的な空気を作ってくれている。日々のピアノとの小難しい話もちゃんと聞いてくれるのだ。 こういう時に耳を傾けてくれるのは正直救われる。感謝しかない。
またこの期間にもレッスンはもちろん講座やミニコンサートも行っていた。 演奏の方は手をチョップの形にして指の右側面で打鍵する必殺技を編み出したりしてなんとか乗り切った。何故無理が利かないのに変わった弾き方までして演奏するかというと、 10月26日に通常毎年開催している『オールバッハプログラム』のコンサートを予定しているからだ。実践こそ弾き方の効力が最もわかるのだ。
昨年2023年には2月にコンサートをしたものの自分に対して納得いくものではなかったので、2024年は上述しているように治療に専念するため断念した。 そのため今年こそは!という意気込みが強く、たとえ変な弾き方になろうがチョップで弾こうが現時点では7:3の割合でするつもりだ。 最悪な問題は頭の中には音符も音楽も入っていてスラスラと流れているのにそれに指がついてこないことだ。このもどかしさを跳ねのけるように常時弾き方を探っている。 ゴールデンウイークに入り肘の手術から7か月がたった。やはり根本的な物が違う、変わっていないと判断してついにジストニアに向けて動くことにした。

もう我慢の限界だ。ネットで調べ上げた。すると調べた先々に『平孝臣』という先生の名前が頻繫に登場してくるではないか。 以前テレビでジストニアの手術風景が放映されていたときにチラッと見た時の先生の顔と重なり思い出した。スーパードクターと呼ばれている凄腕の先生らしい。 更にもっと調べていくと現在はさいたま市の『三愛病院』にいらっしゃるらしい。しかもこの病院にはお問い合わせフォームなるものがあった。
これはラッキーだ!早速問い合わせてみることにした。



 10.2024年5月10日~ 『ジストニアとの闘い』
・2024年5月10日~5月14日 ・ついに始動!~お問い合わせフォーム

ようやくここまでたどり着いたか、という心境でこれまでの経緯と今後の方針について平先生宛へメールを送った。なんせお相手はスーパードクターだ。 おそらく多忙を極めているに違いない。返事は先になるだろうと思っていたら、なんと4日後に返答があり、あまりの早さにビックリした。
しかも病院側のウイルスブロックにかかっていて返事が出来なかったとの文まで添えられていた。つまりもっと早く送れたのだろう。
そんな患者に対する実直な姿勢こそがスーパードクターと呼ばれている所以だと感心した。先生の返答内容はというと、やはり会わないと判断できないというものだった。
当たり前とはいえそりゃそうだろう。脳というデリケートな部分の話だ。そこですぐに三愛病院に電話をかけ平先生の診察を希望している旨を伝えると、 外来は火曜日と水曜日の午後のみだと知らされたが(現在は不明)、翌週の水曜日15:30が空いているというではないか!後先考えず迷わずに予約した。
忙しいであろう先生なだけにどれだけ診察が先になるか見当もつかなかったのだが、こんなにも早くお会いすることが出来るなんて超ラッキーだ。 さらに飛行機のチケットも日帰りできるちょうどいい時間帯のものがとれた。これまでの時間の進み方とはまるで違い、猛スピードでとんとん拍子に話しが 進んでいく状況に、ついつい子供の様にはしゃいでしまった。ピアノの練習にも思わず熱が入るというもんだ。これは大きな一歩だぞ。


・2024年5月22日 初診 ~ 決定!機能的脳定位手術

明日は待ちに待った初診察の日だと思うと、昨夜から朝が来るのがとても待ち遠しかった。
準備は万端、診察時に一言も聞き逃さないように録音機も持参し、 発症中の演奏を録画したUSBも用意してワクワクしながら眠りについた。
朝9:00、福岡空港にやってきた。出発は10:00。 三愛病院までの道のりは食事の時間も考慮して余裕をもって片道5時間を見積もっていた。ビンゴだ、15:00には病院に到着。 少し早めに着いたが初診の手続きを終え、診察室の前で録音機を待機状態にしたりしてぬかりなく待っていた。
声がかかり診察室に入ると見たことがある顔がそこにはあった。
平先生だ!穏やかな口調で優しい表情をされており、この人なら大丈夫だと直感的に感じた。軽く挨拶を交わしたあと、 これまでの経緯を話そうとしたところ「山田さん、あなたはジストニアです。治す方法は機能的定位脳手術です」と話を遮られ、ド直球でオチの言葉を投げられた。
そしてなんと!「ジストニアは治ります」とまで言われた。あやうく発狂するところだった。
これまでは『ジストニアっぽい』とか『おそらくジストニアだろう』という曖昧な言葉を言われ続けていた上に、成功が保証されない手術だとも聞かされていたので、 その瞬間に信頼が一気に深まった。
しかも指を見るでもなくUSBの映像を見たわけでもない。多少面食らったが、先日送ったメールで十分に伝わっていたのだと先生が仰って下さった。
つまりメールに書いていた指の情報だけで断定されていたのだ!喜ぶべきことでは無いのかもしれないが、ジストニアとはっきりして胸が一気に軽くなった。
先生はその後、手術内容やリスク、術後の不安要素などを説明して下さった。福岡でも同じ内容を聞いていたことをご存じだったため説明はかなり簡潔なものになった。 その代わりに先生が以前書かれたジストニア手術に関する冊子を読んでおいてくださいと渡された。現在は少し内容が変わっているとのことで、 例えば以前は頭蓋骨に穴を開ける際に髪の毛を剃る必要があったのだが、現在は分け目だけで済む。とか手術時間が2.5時間から1時間に短縮されたとかだ。
次に実際に行われた手術の症例動画を見せていただいた。ピアノだけでなく、弦楽器、打楽器、お琴などさまざまな楽器の症例があり、 私と同じく指が巻き込み硬直していた患者さんが、頭に電流を流すとみるみる元通りになる様子が映し出されていた。
特に印象に残ったのはジストアの代表的な症例で、 文字を書くことが多い職業の方がなる『書痙(しょけい)』の動画だった。術前は〇を書くのも辛そうで、指の硬直はもちろん手首まで胸側に丸まり込み余計な力が入り、 〇というより角ばった□に近いものしか書けなかった。しかし電流を流した途端、スラスラと流暢に綺麗な〇が書けているではないか!これも信じられない映像だった。
さらに私が一番気にかけていた『ピアノを弾きながら手術を受けている映像』もその映像群の中にあった。これこそが平先生の手術を希望した最大の理由でもある。
先生に対する信頼はもちろんだが、以前ネット上で手術中にピアノを弾きながら手術を受けている画像を見たことがあり、どうせ頭に穴を開けるなら100%満足できる 状態で受けたいと考えていた。指や手首、肘、腕と自分でなければわからない微妙な角度で様々なパターンでの演奏を試してみたかったからだ。それがここでも可能か尋ねると、 楽器を持ち込んでいただければ問題ないという、非常にシンプルかつ明確な返答をいただき心底ホッとした。希望が確信へと変わった瞬間だった。
その後さらに動画を交え説明して下さろうとしていたのだが、もうお腹いっぱい。そもそも手術内容やその後の説明、症例動画を見せられてもここでの手術を決めて来ているので、 何を何回聞いても決心は変わらない。早く手術日を決めたくて話を遮り『最速最短でいつできますか?』と切り出した。すると先生は苦笑され、隣にいた看護師に確認した結果、 Xデーは9月30日入院、翌日10月1日手術と告げられた。真っ先に思い浮かんだのは今年予定していた10月26日のコンサートだった。
この時点でもまだコンサートを予定通り決行するつもりでいたので、術後20日あまりか~と考えていた。しかし先生にもそのことをメールでお伝えてしていたため、 コンサートは無理ですとキッパリ言われた。もちろん手術が最優先なのでコンサートはあきらめて予約を確定させた。

最後に先生は術後について話して下さった。私の場合左脳を焼くので、反対側(右側)の手足の緊張低下による症状が現れるということだ(※詳細については下記参照)。 個人差はあるものの脳を焼くのだから何かしらのダメージはあるだろう。しかもそれは未来のことだから誰にもわからないので、話はサラッとしか聞いていなかった。 むしろ先生には「指さえ伸ばしてくれさえすれば、その先はこちらの仕事なのでご心配なく。」と伝えた。ただこの時の先生との会話で引っかかったのが、 「音楽家は少し症状が良くなってもダメなんでしょう?100%元に戻らないとダメなんですよね。術後のリハビリはその楽器を演奏することですが、 元の状態に戻すのに皆さん大変ご苦労されています。」という内容の話しを二度もされたことだった。その場では大丈夫ですとは言ってみたが、心には深く刺さっていた。 また、手術日までなるべくピアノは弾かないように言われた。なぜなら今の悪い弾き方をさらに脳に刷り込んでしまうからだ。しかし嘘は言えないので、 どう考えてもそれはムリですと伝えると、呆れられたのか極力我慢してくださいという表現に変わった。
退院については、抜糸予定が一週間後なので原則としては10月8日となる。しかし先生は福岡に整形外科の親戚がいることもご存じだったので、 地元で抜糸をするなら最短10月5日には退院できると教えて下さった。術後の経過がすべて順調であればという条件付きだが。これについては福岡に戻り、 抜糸の確約がとれ次第連絡するという形になった。お話しした時間は1時間弱だったが、実にすがすがしい気持ちで診察室を後にすることができた。 診察室を出て録音機を確認したら待機状態のままだった!なんてこった!!とは言え話すべきことは話せたし聞くべきことも聞けたので、空港でひとり祝杯を上げ 気分よく福岡に戻ることが出来た。次に平先生にお会いするのは手術日になる。


※術後一般的にみられる症状

・歯磨きや洗髪時、キーボード操作時に手は動くがコントロールがつきにくい感じ
・手を使うときに以前と何か違う違和感
・手や指の動きが少し遅い
・歩行時のふらつき、不安定感、まっすぐ歩いているつもりなのに片側へよってしまう
・ドアや人にぶつかりやすい
・楽器の演奏などでリズムやスピードが出ない
・舌や唇のしびれや違和感v ・味覚の異常
・少しロレツが回りにくい感じ
・思ったことがやや言葉に出づらい

※上記の症状は年齢にもよる。若い方で術後1-3か月、高齢者では2-6か月で徐々に改善し問題が無くなるのが普通とされている。
(参照:平孝臣 東京女子医科大学 脳神経外科)


・2024年5月23日 入院準備 ~ 数々のミッション

初診の翌日、早速入院の準備に取りかかった。

※ミッション 1 ~航空券と宿泊先
9 月 30 日に入院だったので、前々日 28 日には東京に入りたかった。その理由は、術後にロレツが回らないとか、思っていることをうまく言葉に出せないとか、 さらに以前ネットで調べ上げた時に性格までも変わるとか恐ろしいことが載っていたので、何者かに変身してしまうかもしれない前に東京に進学中の息子に会っておきたかったからだ。 だいたいの経緯は知っていた息子だが、電話で手術の内容や術後の状態を詳しく話すと、かなり驚いていた。話を聞いた息子は歩行時にふらつかくもしれないことを心配し、 帰りの福岡まで同行してくれることになった。また、妻も手術翌日まで同行するため、福岡に残るもう一人の息子にも同じ説明をして留守中のことを頼んだ。 こういった時、家族のサポートが本当にありがたいと感謝している。
病院近くの宿泊先の手配も終わり、希望の日時で航空券も予約できた。これで入院期間中の準備が整った。

※ミッション 2 ~抜糸の件と退院日決め
この日は親戚の整形外科医がいる病院で診察とリハビリがあり、タイミングよく事情を話すことができた。三愛病院での診察経緯や手術内容、平先生についても興味深く聞かれた。
ジストニアと断言されたことや、手術時間が1時間程度で終わるということにも驚いていて、よほど症例数をこなされている先生なのだろうと感心していた。 そして抜糸も快く引き受けてくれることになった。すぐに平先生へメールを送り了承を得て、これで 10 月 5 日の退院が決定した。


・2024年5月24日~9月26日 入院までの出来事

※ミッション 3 ~持ち込み楽器

手術中にもっとも大事な役割を果たすのが楽器だ。先生からは、症状が見られるものであれば何でも構わないと言われていたが、日々弾いている長年の相棒の グランドピアノに近い感触のものを理想としていた。キーボードを持っていなかったのでこれから購入することになるが、キーボードと生のピアノでは 構造からしてまるっきり異なるので、妥協点として最も重要なタッチの負荷を最優先に考えた。手術中に同じ症状が再現できなければ困るからだ。
実際に何店舗か回ってみたのだが、負荷がそれなりにかかるキーボードは、もれなくピアノと同じく88鍵盤で、なかなかの大きさのものしかなかった。 また私が気に入ったものには、ボタンひとつでオルガンやチェンバロなどさまざまな音色に変わる機能もついていて、バッハ弾きの私としては、 入院中の暇つぶしとしても大いに遊べる!と考えてこの楽器に決めた。ただし、現時点ではその目論見も確定したわけではない。 入院の事前説明で個室を希望したのだが、コロナ患者や急患が入った場合は 4 人部屋になる可能性もあり、前日の電話で確認するまではわからないのだ。 ピアノ遊びは無事個室に入れたらの話しなので、今は祈っておくしかない。
持ち運びの方法については、楽器を担いで行くにはあんまりの大きさだったため、宿泊先と運送会社に相談し、チェックインの日に届くよう手配した。
これで入院までにクリアすべきミッションは全て整った。
この期間も仕事は普通にこなしていた。レッスンはもちろん、毎年行う発表会や講座も行った。手術のことを伝えると心配をかけるだろう思ったが、 術後の状態がどうなっているか分からないため、各方面に知らせる必要があった。レッスンを受けている人や発表会の関係者、またこれまでにジストニア関連で 相談をした方々や病院の先生方などに。
定期的に行っている講座についても、術後は再開のめどが立たないため、受講生には伝えておく必要があった。皆驚いていたが、頭に穴開けて電流を流すだけと 物凄く端折った説明をして、たいしたことではないというオーラを出して安心させたかった。
この講座でも、だましだましで演奏をしたが、先生からはピアノはなるべく弾かないようにと言われていたことがたまに頭をよぎる。
日々練習もなまけずにしていたが、これが凶と出るか吉と出るかはわからない。不安もあったが、弾かないことへの恐怖がそれ以上に強かったので、やっぱり弾いておこう。

・2024年9月27日,28日 三愛病院に向けて

いよいよ明日出発だ。ここ数日は10月1日の手術が待ち遠しく、修学旅行に行く前の小学生のように浮かれていた。
3日前には個室に入れる前提で、楽譜やノート、ヘッドホン、メトロノームなどをキーボードと一緒に宿泊先のホテルへ郵送しておいたので、残りの荷物の準備は簡単だった。
衣服は病院の入院着だけで、術後2日目からシャワーもできるので日数分の下着だけで済む。それに身の回りの小物や洗面道具。
忘れてはいけないのが、入院に必要な書類と、コロナ対策で入院一週間前からの検温記録。あとは手付金の10万円とオヤツ程度で、まるで日帰り温泉旅行のような荷物で、 ルンルン気分で荷造りを終えた。
翌日、東京で妻と息子と3人で昼食をとった。心配していた息子も、私が普段通りにビールを煽っている姿を見て、少し安心(?)したようだった。
ただし、術前に大丈夫なのかとは聞かれたが、明日はただ入院するだけで、しかも検査もないことを伝えると納得していた。
術後順調なら一週間後に退院予定なので、福岡まで連れて帰ってくれる息子に10月5日に迎えに来てくれる約束をして別れた。
そして入院前日にしなければいけない重要なこと、それは個室の確認の電話だ。私にとっては大問題だったので、ドキドキしながら電話をかけたところ、 無事に個室ゲット!これで入院中に思い存分ピアノが弾けるし、術前と術後の違いも細かくチェックできる。かなりホッとした。
ホテルに到着すると、マイキーボードも待ち構えていた。これで準備は万端。入院時間が 14:00 と遅めなので、夜はゆったりと食事をとり、のんびりと過ごした。
さあ!あとは明日を待つのみだ!



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